旅する薬剤師が高山病について本気で考えた話
ペルーやボリビアを旅していた頃、標高5,000m級の場所に立つことが何度かありました。

※撮影:筆者
空はどこまでも近く、雲の流れがやけに速い。
バックパックを背負い、坂道を少し歩くだけで息が上がる。
少し早足になれば、心臓が強く主張する。
「ここでは無理をするな」
身体が、静かにそう告げていました。
それでも私は、吐き気や頭痛に襲われることはありませんでした。
移動を重ねる中で、少しずつ高度を上げていたことが幸いしたのだと思います。
息切れはある。
夜は浅い眠りになる。
何度も目が覚める。
けれど、数日経つと身体は順応していきました。
人間の身体は、環境に合わせて変化する力を持っています。
低酸素状態が続くと、呼吸は自然と深くなり、赤血球の産生も促される。
どこかで聞いたことのある「高地順応」という言葉を、私はその時、自分の身体で理解しました。
ペルーのフアレス(Huarez)という街では、宿にたどり着くのが早朝でした。
予約していたわけではなく、飛び入りです。
ところが、宿のおばちゃんは嫌な顔ひとつせず対応してくれました。
そして「まずはどうぞ」と、入れてくれたのがコカ茶でした。

※撮影:筆者
葉っぱが浮いた薄い緑色のお茶。
やんわりとした湯気。
「飲んでおきなさい」と言う穏やかな声。
凍えた体が、心身ともにほっこりしたのを覚えています。
劇的に楽になるわけではありません。
けれど、その土地で暮らす人たちの知恵に触れることは、どこか安心感を与えてくれました。
コカ茶には軽度の覚醒作用や血行促進作用があると言われています。
ただし、高山病を確実に予防する「薬」ではありません。
高山病の本質は、酸素不足です。
身体が高度の変化に追いつかないとき、頭痛、吐き気、めまい、倦怠感といった症状が現れます。
重症化すれば、高地脳浮腫や高地肺水腫という命に関わる状態にもなり得ます。
だからこそ、最も重要なのは
「無理をしないこと」。
そして、
「自分の身体のサインを軽視しないこと」。
あのアンデスの高地では、私は慎重でした。
“自分は大丈夫だろう”とは、思わなかった。
ゆっくり歩き、深呼吸を意識し、水分をこまめに摂ることを心がけていました。
ところが数年後。
私は別の山で、その自信を崩されます。
富士山です。
日本最高峰。
標高3,776m。
最高5,600mを経験していた私は、明らかに油断していました。
「これくらいなら平気だろう」
そう思っていたのです。
9合目を過ぎたあたりから、異変がはっきりしてきました。

※撮影:筆者
しゃがんで立ち上がっただけで、目の前が真っ白になる立ちくらみ。
酸素が、足りない。
呼吸をしているのに、吸えていない感覚。
胸が締め付けられるような息苦しさ。
一歩進むのに、一段登るのに、覚悟がいる。
あのとき初めて、“高山病は標高の高さだけでは決まらない”と痛感しました。
急激な高度上昇。
睡眠不足。
前日の飲酒。
条件が揃えば、3,000m台でも十分に症状は出ます。
むしろ、順応する時間がなかった分、富士山のほうが身体には過酷でした。
薬剤師として知識はありました。
症状も理解していました。
それでも、身体は正直でした。
知識と体験は、似ているようで違います。
そして、旅ではときどき、その差を思い知らされます。
高山病の予防として推奨されるのは、
・ゆっくり高度を上げる
・十分な水分摂取
・過度な飲酒を避ける
・無理をせず、症状が出たら下山する
といった、基本的な行動です。
必要に応じてアセタゾラミドなどの予防薬が使われることもありますが、それも「魔法の薬」ではありません。
それに、処方に応じてくれる医師も限られるでしょう。
最終的に頼れるのは、自分の感覚です。
息が苦しい。
頭が重い。
なんとなくおかしい。
その違和感を無視しないこと。
アンデスで学んだのは、順応する力。
富士山で学んだのは、過信の怖さ。
旅には、その土地なりの知恵があります。
コカ茶のように。
けれど、最後に頼れるのは、自分の身体のサインです。
空に近づくほど、常識から離れるほど、人体は謙虚になるようです。
今、私は思います。
旅とは、景色を見ることだけでなく、自分の限界を知ることでもあるのだ、と。

